万葉の聖地奈良の都に古代建築随一と謳われます当荘の歴史は古く、元東大寺頭塔・惣持院でございました。明治11年、それまで4ヶ所あった寺子屋を統合して鼓阪小学校と改称されることになります。大正11年、奈良市立第三尋常高等小学校にするにあたり、旧惣持院の建物を払い下げられました。それを当時の古美術商でありました玉井大閑堂さんが買取り、現在地に移築致しました。その後、玉井大閑堂さんの別荘として利用され、日本のそうそうたる実業家の方々がよく来訪されておりました。昭和20年8月、終戦を迎えアメリカ陸軍の将高軍人の公食として5年間使用されておりました。昭和29年10月、現在の観鹿荘として旅荘をはじめる事となります。
当荘は元東大寺の一院の旧構でありまして、1200年前の旧柱を用いた「天平の間」をはじめ、各室は建築・装飾に古代美術の粋を凝した純日本式旅荘でございます。前に東大寺大仏殿・名勝奈良公園、若草山を後ろに興福寺五重塔を望む景勝の中心に在り、古美術品を配した優雅な庭園をめぐらし、居ながらにして事の雰囲気に浸れます。真に塵外の理想郷で別名「吸霞荘」とも云われております。古都を愛し史跡を訪れる文人をはじめ、ご家族連れ、国外からのお客様に奈良を味わい、旅情を楽しまれるお時間をここ観鹿荘で過ごされる事を願っております。皆様のお越しをお待ち申し上げます。
主人 敬白